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先祖探し掲示板

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戸籍の記載からの推理 - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/26 (Fri) 22:37:38

曾祖父が戸主の明治19年式戸籍では、高祖父高祖母を父、母としており、次の大正戸籍でも「父〇〇母△△三男」と記載されています。
高祖母は1858年に26才で入籍しています。
しかし、今回新たに入手した大正式戸籍で曾祖父の長姉の母親が空欄でした。曽祖父の長姉は1846年生まれで、もし高祖母の子だとしたら14才の時の子になります。
ですが本当に高祖母が母親であるならば空欄というのはおかしな気がします。
以前も別名でこの画像を掲載しましたが、この記載と何か関係があるでしょうか。
私的には高祖父に前妻がいて、曾祖父の長姉、長兄は前妻の子ではないのかと思ってしまいます。
皆さんはどう思われますか、またどう考えますか。経験などを交えてこうではないか、という推理を立てていただけるとありがたいです。
何分江戸時代の事ですので、正確な事実はわからないとは思いますが、皆さまのご見解をお聞かせください。

Re: 戸籍の記載からの推理 - 勘次郎

2017/05/27 (Sat) 11:31:30

先祖を尋ねて三千里さま おはようございます。

14才の時の子供、というのは今の感覚ではありえないですが、人別帳をひっくり返すと1件ぐらいはそういう例が見られます。(年齢差で見ているので、数え年ではなくて実年齢)人別帳は続柄が正確に表現できてない可能性があるので、直ちにそうだと判定出来る訳ではありませんが。


余談ですが、ご存知の通り、明治19年式戸籍では母親の欄はないので、明治31年式戸籍や大正4年式戸籍に引き継がれた場合には、自分の持っている戸籍では、以下のパターンがありました。

1.母親の欄が空欄で「現戸籍ニ依リ母ノ名前ヲ知ルコト能ワザルニ付其記載省略」との記載あり。
2.母親の欄が空欄だが特段の説明なし
3.母親の欄に戸籍の記載から確定できる母親の名前が記載されている
4.母親の欄に戸籍の記載だけでは確定できない(戸籍に記載がない場合を含む)母親の名前が記載されている

戸籍の記載だけでは母親の名前を確定できないケースでどうやって母親を判断したのか(壬申戸籍?)実務上気になるところではあります。

以上

Re: 戸籍の記載からの推理 - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/27 (Sat) 13:03:01

勘次郎様、こんにちは。
母の名前を知ること…という一文は今回取得した戸籍ではありませんでした。なので一層疑問が膨らみます。勘次郎様がおっしゃるように、説明なしで母親が空欄の戸籍もありますけどね。

現在3つの疑問があるのです

1、曾祖父は〇次郎という名前なのですが、三男なのになぜ次郎なのだろうか(明治2年生まれだから次郎、あるいは特別意味もなく次郎の可能性も経験上あり得ますが)

2、曾祖父と曾祖父長兄の戸籍の記載が関係あるのか(曽祖父は後復、長兄は前復とあります。女の兄弟も同様の記載がありました。だとすると長姉も前復という記載があったのではないかなと。名もなき民様曰く、この記載は続柄訂正の意があるとのことでした。)

3、もし長姉の母が高祖母であるならば、戸籍を確認すれば高祖母の名前は明らか(曽祖父の大正式戸籍では母親の欄は高祖母です)なのに、なぜ空欄なのか

以上の疑問から前妻がもしかしていたのでは?と思ってしまいます。しかし、勘次郎様がおっしゃるように、事実かどうかはわかりませんが12歳で出産していると思われるケースが過去ありましたので、深読みしすぎの可能性もあり得ます。

Re: 戸籍の記載からの推理 - 勘次郎

2017/05/27 (Sat) 13:51:45

> 3、もし長姉の母が高祖母であるならば、戸籍を確認すれば高祖母の名前は明らか(曽祖父の大正式戸籍では母親の欄は高祖母です)なのに、なぜ空欄なのか

つまり、同じ戸籍かつ兄弟なのに母親の記載における曾祖父の扱いと長姉の扱いが異なる点が何故?ということなのですね。すいません読み切れてませんでした。

ワタクシとしては、何故曾祖父様の母親が特定できたのか、も気になります。明治31年式戸籍の時代には身分登記簿なるものがあったので、その関連で記載可能だったのかも知れないですが。

実務上戸籍を書く人は文書に残されている以上のことは追記できないと思うので(特段の申請があった場合は別でしょうが)、母の記載が無い点に限っては、どこにも書いてないから書けなかった、というオチかな、とも思います。

別の自分の例ですが、実は親が出産したというのがあります。兄弟ではなくて叔母だった、と。壬申期の町内の記録では戸主の親の三女となっていたのに、何故か明治19年式戸籍では戸主の三女となっていました。三女の記載だけそのままなのが怪しいです。

1858年(安政5年)に26才で入籍、との記載がどの程度確からしいかはわかりませんが、自分は明確な矛盾がなければ一旦信じるようにしています。入籍前の実家の宗門人別帳が残っていれば…。

Re: 戸籍の記載からの推理 - 名もなき民

2017/05/27 (Sat) 17:05:56

掲載の画像については当時かなり苦しい推測をした覚えがありますが、「前復」「後復」は戸籍記載事項ではありませんし、具体的内容は記憶にありませんので、ゼロベースで考えてみたいと思います。

明治19年式戸籍の場合、名欄の右欄は「父母の名および父母との続柄欄」「夫の名欄」と呼ばれているのですが、続柄は父を基準にしますので、父の名および父との続柄のみが記され、私生子などの場合のみ母の名が記されます。

戸主の妻子の場合、戸主との続柄欄と重複することになるので、記載は省略されます。

ここで注意すべきは、他家より入籍者の場合、実親の名は記載されず、現に在籍する家における身分が基準になることです。

例えば戸主が養子であれば、「養父○○養子」と記され、戸主の養父は「亡養祖父□□長男」のようになり、養母は「養父○○妻」となります。

他家より入籍者の場合、従前籍の戸主が実親の場合のみ、入籍事項からその名を知り得るにとどまることになりますから、従前籍の戸主次第では、当該戸籍からは実父母ともに知り得ない状態となります。

この状態で明治31年式戸籍や大正4年式戸籍を編成する際、原戸籍により知り得ない事実は記載を省くことができます(明治31年戸籍法第221条第2項・大正3年戸籍法第185条)。

更に大正4年式戸籍の時代になると、「原戸籍ニ依リ母ノ氏名ヲ知ルコト能ハサルニ付其記載省略ス」のように省略事由の記載が法定化されます(戸籍法施行細則第24条)。

一方、旧法時代の出生届には、現行法のように出生証明書の添付を要件としていなかったことと、明治19年式戸籍がこのような仕組になっていた結果、戸主の子が必ずしも戸主の妻の子とは限らないということになります。

しかし戸籍実務上は、不合理な要素がない限り、戸籍面から素直に母子関係を認定するしかなく、先祖調査の世界とは認識のずれが存在することになります。



そこで先祖を尋ねて三千里様の場合ですが、旧民法の婚姻年齢は男満17歳・女満15歳で(旧民法第765条)、14歳は生殖可能年齢でもありますし、ましてや民法前でもあるので、明治19年式戸籍のみからは、母子関係を否定し切る要素にはなりません。

戸主曾祖父様戸籍では、兄姉の記載順が、曾祖父様の子の後に、長幼順に連続して記載され、入籍事項の記載もないとすると、原戸籍にまで遡らないと事実関係は判らないと思います。

大正4年式戸籍でありながら省略事由の記載がないとなれば、もし背景に先祖を尋ねて三千里様の言われるような事実が存在し、当事者がそれを証明できるものがあれば、家督相続届により追完されたなどの可能性はあります。



私の許には逆の事例が2件あります。

高祖母の従前籍の戸主が父(しかも氏は誤記)であるものが、家督相続後の明治31年式新戸籍では、父母および父母との続柄が全て記されており、この御蔭で誤記も証明でき、高祖母実家の戸籍も取得できました。

もう1件は曾祖母の従前籍の戸主が兄であるものが、家督相続後の大正4年式戸籍では、父母の氏名は身分登記簿により補記、父母との続柄は家督相続届により追完された事実が明記されています。

Re: 戸籍の記載からの推理 - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/27 (Sat) 17:10:29

勘次郎様
曾祖父の長姉は同じ戸籍には入っていないのです。今回本家の方から委任状を頂いて戸籍を調べていたら、本家の明治19年式戸籍に戸主の妻として曾祖父の長姉の記載がありました。
曾祖父の母が高祖母であることは、曾祖父が戸主の明治19年式戸籍で明らかなのです。そこには曾祖父の父として高祖父、母として高祖母が載っているのでこれは間違いなかったはずです。
ただこの戸籍には曾祖父の長姉と三姉はいなくて(すでに嫁いでいます)、戸主の兄として曾祖父の長兄(1850年生まれで高祖母入籍前に生まれている)、戸主の姉として曾祖父の次姉が記載されているのです。
壬申戸籍が残っている、あるいは閲覧できればよかったのですが98%不可能に近いです。我が地域に宗門人別帳なるものがあるかどうかもわからないので(郷土資料を見る限りあるところはあるらしいのですが)、足踏み中です。

Re: 戸籍の記載からの推理 - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/27 (Sat) 17:20:12

名もなき民様
確かに曾祖父の長姉、長兄が高祖母の子である可能性はありますが、だとすると1858年に高祖母が入籍したというのはどう理解すべきでしょうか?
江戸時代に婚姻届などがあったのかどうか、また明治期の入籍にはどのような種類のものがあったかわからないのでもしご存知のことがあれば教えてください。
この時代では続柄は父を基準にしているのは存じているのですが、曾祖父の長姉が載っている本家のほうの大正式戸籍には、省略理由などは記載されておりません。もし高祖母が母であるならば実家(我が家)の戸籍を確認すれば高祖母の名前を記載することができたと思うのですが、当時はそうもしなかったのでしょうか?

Re: 戸籍の記載からの推理 - 名もなき民

2017/05/27 (Sat) 19:20:28

旧民法が採用した家制度は、江戸時代の武家社会で定着した慣習を基にしているに過ぎません。

日本は伝統的に事実婚社会です。

故に婚姻状態と非婚姻状態とに明確な線引きをするのは難しいことになります。

旧幕時代の家族に関する制度的実情は地方によって様々ですが、戸籍もしくはそれに相当するものは存在します。

支配層からしてみれば、年貢徴収等の関係で、人民の把握は重大関心事、かつ移動の自由も認められていません。

従って婚姻届に相当するものも存在し、奉行所や名主などへ届出ていたようです。

しかし飽く迄も事実婚社会ですから、届出することで婚姻関係が成立するということにはならないのだと思います。

この辺りは近世史や郷土史の領域となりますので、他へ譲ると致します。

明治4年戸籍法(明治5年2月1日施行)以降は届出主義(法律婚主義)となりますので、実態とは無関係に、入籍についての明確な線引きは可能となります。

子の出生年と母の入籍年が矛盾するのは、事実婚の習慣の可能性もあり、戦前の戸籍では出生後の婚姻届出は頻繁に見られます。

現在の婚姻届用紙にも、「同居を始めたとき」欄が存在することからも分かるように、実態と入籍とは分けて考えるべきです。



「明治期の入籍」とは婚姻に関係する入籍を指しているのでしょうか。

以前にもお答えしましたが、婚姻入籍(入籍即婚姻、つまり適齢期でなければあり得ない)以外に、将来自己の実男子や養男子と結婚させる目的で、適齢期未満の女子を入籍させる形態が幾つかありました。

縁女入籍・養女入籍・棄児引受の他、親族入籍という方法も活用できたと思います。

前三形態については、民法においてはいずれも養子縁組によることになります。

明治19年式戸籍編成前の入籍ですと、身分事項欄の記載は単に「入籍ス」となってしまいますので、入籍時の年齢が若過ぎると、どのような形態だったかは判らないことになります。



長姉様の最も古い戸籍が本家の明治19年式戸籍ということであれば、長姉様は他家(分家)からの入籍者ということになりますから、本戸籍から「母ノ氏名ヲ知ルコト」はできません。

従って家督相続後の新戸籍の母の欄が空欄なのは当然のことで(父の記載があるのは原戸籍の入籍事項の従前籍の戸主が高祖父様だったからでは?)、長姉様の母が高祖母様か否かと空欄とは関係ない筈です。

省略事由の記載がないのは恐らく遺漏です(私の許にも明らかな遺漏はあります)。

そうでなければ先の返信でも触れたように、家督相続届出により追完したのかもしれません。

新戸籍を編成する際には原戸籍や身分登記簿、届出を基にしますが、役場が入籍者の実家戸籍まで追跡調査するような法的根拠もありませんし、際限がありませんので、実際しません。

戸籍の文字。 翁爺

2017/05/25 (Thu) 21:25:57

印が重なって かなり難問だと思いますが…。
戸主〇〇次郎。
押された印は左下に合成した村長大森だと思います。

Re: 戸籍の文字。 - 勘次郎

2017/05/26 (Fri) 19:45:29

かなり心眼ですが…
「河島特次郎」と読めます。
そんな中でも特の「寺」と河の「可」はよりはっきり見える気がします。

Re: 戸籍の文字。 翁爺

2017/05/26 (Fri) 23:40:53

勘次郎様。
此処まで印が重なって居るとねぇ…。もう少し気を配って押して呉れば?(笑)

Re: 戸籍の文字。 - 勘次郎

2017/05/27 (Sat) 10:55:38

御意。

蛇足かつ既知かもですが、少し現実的な推測策としては、
推測できた苗字を現在のその地域の電話帳で探してみる、というのがあります。
全く出て来なければ、推測は合ってないと思われます。逆にある程度の戸数が見つかれば、推測がまんざらでもないと考えられます。

戸籍の文字について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/20 (Sat) 16:32:16

左から

・伊藤壱右エ門?

出身村の郷土史に載っている人物で伊藤庄右衛門という人がいますがもしかして庄右衛門?自分なりには定右衛門かとも思えてしまいます。

・伊藤五左(ごすけ)?

・伊藤定〇衛門?

でしょうか?皆様のご見解をお聞かせください。

Re: 戸籍の文字について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/21 (Sun) 14:54:56

左の文字は以前掲載し、壱右衛門というご意見がありました。
その後、新たな戸籍を取得した時に右の文字があり、左と右を
比べてみると右はやはり定ではないだろうと思えます。それとも定でしょうか?
役所の人でもわからない、との回答でした。

Re: 戸籍の文字について - 名もなき民

2017/05/21 (Sun) 16:09:56

暫く様子を見守らせて頂いておりましたが、左の人物については返信投稿した記憶もあることですし、毎度になりますが私で宜しければ…

「虎右エ門」もしくは「定右エ門」…右と同一人物で辻褄が合えば、「定右エ門」と思います。「壱」も「庄」も通達に掲載されている記載例は情報量に乏しく、これに似た字体はありませんでした。全く誤字級といえます。

「五左」

「定右エ門」…認印が被っているので、修正液で復元を試みてみましたが、「壱左エ門」ではなさそうです。「左」の俗字等の場合、「エ」の部分が「ヒ」または「ユ」の字形をしている事例が多いです。因みに私の許には「コ」の字形に酷似していて「左」「右」の判別に悩まされたものが数件あります。

今更このような話をしても始まらないのですが、原本で管理していた時代ならば、役場で原本を確認して貰うことで、墨汁と朱肉との区別くらいは容易にできた訳ですが…

ところで役場は管轄法務局に照会はしてくれたのでしょうか。取得された戸籍が法的廃棄手続を経たものでなければ、副本が存在すると思うのですが。

Re: 戸籍の文字について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/21 (Sun) 20:31:19

名もなき民様、いつもありがとうございます。
以前別のサイトでは左の字は虎右衛門ではないか、という指摘は確かにありました。ちなみに右の人物と左の人物は同一人物ではありません。右の人物は高祖母の実家の人になり、現在親戚付き合いはしてませんし、出身村は現在も伊藤家はたくさんあって、どの伊藤家かも特定できそうにありません。
墓石を見ればわかるのかな、と思っていて実行に移しておりません。
ちなみに、役場から法務局に照会はしてもらっていません。

Re: 戸籍の文字について - 名もなき民

2017/05/21 (Sun) 21:40:10

本掲示板での以前のご質問でも、確かに「虎右エ門」と指摘しました(別のサイトのことは存じませんが)。

右の人物が高祖母様の父となると厳しいですが、兄弟であれば、旧土地台帳の筆頭所有主に氏名が載っている可能性は高いです。

ですが伊藤姓となるとかなりの分量になりそうで、気が重くなるでしょうね。

何を隠そう私の高祖父母にも伊藤姓があり、現在子孫の消息が今一つはっきりせず、旧土地台帳を取ろうにも、現在住居表示地区となっており、電話帳からリストアップしただけで放置してあります。

副本は本来再製用に備えてあるので、このようなケースで使われるかは、実のところ私も確信はないのですが…

しかしそのような記載をした責任は役場側にありますし、届出側が不明な字を書いていたとしても、窓口が不備を指摘しなければ受理できないことになっています。

その後町村合併などで自治体が変わっても、責任も含めて戸籍を引継いでいるのは現在の役場ですので、判らない場合は法務局の判断を仰いで結果を出すのが管掌者の務めと思っています(実際そういう体制になっているので)。

例えば新戸籍編成の際には、役場は嫌でも判読を迫られます。

それと、当該人物が高祖母様の兄弟までならば、6親等の血族ということで、ぎりぎり先祖を尋ねて三千里様の親族になり、充分利害関係人と言えるのではないかと思います。

今回はやけに理屈っぽくなってしまいましたが、この種の活動は気長に構えてで宜しいのではないでしょうか。

Re: 戸籍の文字について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/21 (Sun) 22:58:18

名もなき民様、ありがとうございます。
高祖母は天保期の生まれで、兄妹が誰なのかも不明です。その父ともなれば1800年代初期、もしくは1700年代後期生まれの人になると思われます。
名前に確信が持てれば菩提寺と思わしき寺に問い合わせてみることができるのですが、現段階では躊躇しています。
今は身近な先祖について親族からの情報収集を優先していて、後回しにしてしまっています。まずは墓石に一度当ってみる必要がありそうですね、やはり気長にやっていこうと思います。

戸籍の文字 - 猫太郎

2017/05/20 (Sat) 21:35:19

はじめまして。
古い戸籍に小さくかすれて読めない文字があります。
左の列、「四男」の上ですが、何と書かれていますか?
「家督の廃嫡」と考えたのですが、いかがでしょうか?
御教授頂ければ幸いです。

Re: 戸籍の文字 - 勘次郎

2017/05/20 (Sat) 21:41:59

はじめましてこんにちは。
わたしには「家族トノ続柄」と読めます。

Re: 戸籍の文字 - 猫太郎

2017/05/20 (Sat) 22:21:24

勘次郎様

早速有り難うございました。
ただ、同じ戸籍の他の人の欄にはこの文字が記載されておりませんので、不思議に思っておりました。
有り難うございます。

Re: 戸籍の文字 - 名もなき民

2017/05/20 (Sat) 23:51:23

「家族トノ続柄」です。

四男の妻の名欄の右側の記載で間違いありませんよね?

戸主の家族(この場合は四男)を介して戸主と家族関係を有する者の場合、「四男○○妻」のように記載がなされます(明治31年戸籍法第176条第6号・大正3年戸籍法第18条第10号)。

明治31年式戸籍には全ての家族についてこの欄が設けられていましたが、大正4年式戸籍からは該当する家族のみ「家族トノ続柄」欄を増設することになっています(戸籍法取扱手続附録第2号・戸籍法施行細則附録第1号様式附属雛形)。

明治19年式戸籍にはそのような法的根拠はありませんが、改製されることなくそのまま使用された場合、当該欄を省くことができましたが(明治31年戸籍法第221条第2項)、大正3年戸籍法第185条により明治19年式戸籍は改製を要することになりました。

しかし実情は地方によりまちまちだった為、司法省の先例により、明治19年式戸籍を使用し続ける場合、大正4年式戸籍に相当する欄(父母欄など)を増設する扱いになりました。

恐らく猫太郎様の場合、掲示されたものは明治19年式戸籍で、四男妻の入籍は大正4年以降になっていると思われます。

Re: 戸籍の文字 - 猫太郎

2017/05/21 (Sun) 01:37:52

名もなき民様

早速のお返事有り難うございました。

仰せの通り、提示したものは明治19年式戸籍であり、四男妻の入籍は大正4年以降(昭和11年)です。

長年の疑問が解決致しました。
皆様、有り難うございました。

学校関係の記録について - 権右衛門

2017/05/12 (Fri) 17:25:59

質問です。
ご自分の両親や先祖の「学籍簿」や卒業写真を出身校に問合せて閲覧、取得された方はいらっしゃいますか。
実際に取得された方がおられましたら、方法等をご教示ください。
宜しくお願い致します。

Re: 学校関係の記録について 管理人

2017/05/17 (Wed) 23:19:39

見たこと無いですね。
ファミリーヒストリーではいつも出て来ますよね。

特別な事では無いでしょうか?

Re: 学校関係の記録について - 名もなき民

2017/05/19 (Fri) 18:48:18

1. 学籍簿について

実はご質問投稿の数日前に、母の出身高校から、同窓会名簿に関する案内が届いたので、それを機に母の学籍簿について問合せをかけていたのですが、今日漸く結果が出たところです。

残念ながら成績等に関する原簿は残っておらず、残っているのは卒業原簿だけということでした。

法的根拠についても聞いてみましたが、『学校教育法施行規則』で保存期間が定められているそうです。

調べたところ、第28条第2項により、指導要録(昔でいう学籍簿)の保存期間は5年で、うち入学・卒業に関する記録(卒業原簿など)については20年、となっておりました。

つまり法令通りに廃棄された場合、まだまだ存命の卒業生でありながら、5年経過しただけで成績証明書が受けられず、20年経過後は卒業証明書すら受けられないことになり、想定外の厳しい状況といえます。

学校側に言わせると、卒業原簿は卒業名簿を作成する際に必要になるので、通常はそう棄てるものではないということでしたが、それは学校側の都合でしかないですよね。

しかし大学級ともなると、創立時からの学籍簿を保管しているものだそうです。

原簿の閲覧や写しの交付については法的根拠はなく、学校側に確認すると、やはり学校ごとの規定や判断に任されているようです。

ファミリーヒストリーで原簿を開示しているのも当然学校独自の判断でしょうが、もし有名人の親やNHKだから特別扱いしたのだとしたら、それは不当な扱いだと思いますよ。

挑戦されてみるのであれば、学校の規模にもよりますが、教務課や教務部学籍係といった部署が担当・窓口になります。

原簿の写しは不可でも、成績証明書という形なら受けられる可能性はあるので(請求権者の範囲は戸籍より狭いと思われます)、父祖の軌跡を知るにはそれでも充分価値はあると思います。



2. 卒業写真について(軽く読み飛ばして下さい)

父母のものは全て現物が家にありますが、祖父母(みな尋常小学校卒)の現物は見たことがありません。

父および父方祖父母、母および母方祖父母は、それぞれ同じ小学校出身です。

いずれの学校も、立派な創立百周年記念誌が刊行されており、写真付卒業名簿が掲載されています。

父方の学校は大正6年から写真が掲載され始め、昭和2年以降は毎年掲載されていますが、残念ながら祖父母とも写真の掲載はありません。

母方の学校は明治43年から毎年掲載されており、祖父母の写真も掲載されていますが、顔が幼すぎて確信をもって特定できません。

母方の学校は3年分欠けており、大正3年「撮影したらしいが保持者見当たらず」、大正5年「記念撮影はしたが現像を失敗した為なし」、昭和20年「終戦の年物資不足の為もあって記念撮影はなし」、と詳細な理由を付してあります。

昭和20年は尤もらしい理由を付してありますが、私は疑問を抱いています。

両小学校は互いにそう遠くなく、当地には昔から1軒しか写真館がありませんでしたので、同じ写真館により撮られたものです。

しかるに父方の学校は、ちゃんと昭和20年の写真が掲載されています。

このように記念誌を編纂する際に、欠けた写真を卒業生遺族から提供して貰っているくらいですから、写真が残っているかどうか、見せて貰えるかどうかは、全く学校側の事情次第ということになるでしょう。

Re: 学校関係の記録について - 利平

2017/05/20 (Sat) 22:48:00

初めまして。

私の経験から申し上げますと、教育委員会など公的機関に正面から個人情報開示を申し込みますと、文書保存年限が決まっていますので「廃棄済み」の回答が届くだけだと思います。

ファミリーヒストリーを見たらわかるように実際には古い物も残っていることが多いのではないかと睨んでいます。
心情的に戦前の資料をそう簡単に捨てきれませんよね・・・。
ですから、実際には廃棄してなくとも、規定上は廃棄してなくちゃいけないものは廃棄済みと回答しているのではないかと思う部分もあります。

もし学籍簿を見せてもらいに行くのでしたら、卒業生の子(孫)ですが、相談したいことがあると事前に校長先生にアポを取り付けて直接交渉されたらどうでしょうか。

観光協会等への問い合わせについて - 藤

2017/05/17 (Wed) 23:40:18

管理人様、皆様、お久しぶりです。
だいぶ前に出入りさせていただいておりました、藤(ふじ)と申します。

近年は先祖探しより離れておりましたが、昨年末に偶然にも父方の祖母方の出身地に関する郷土史を入手することができまして以来、地道に資料集めを続けております。

どなたか、観光協会か教育委員会に問い合わせをされた方がおられましたら、手順等ご教示いただきたく本日は書き込ませていただいております。


このたび、父方の祖母家でありますA家が出ました岩手県某町に来月、一日だけですが伺うことができそうです。
どこまで調べがつくかは未知数ですが、その前に観光協会か教育委員会、もしくは郷土史の発行先であります地区の公民館に問い合わせをしてから伺おうと考えております。

また、私の現在の名字と父方の祖母家では名字が違いますが、伺う際には以前取得した除籍謄本等持って行った方がよろしいでしょうか?

Re: 観光協会等への問い合わせについて - 勘次郎

2017/05/18 (Thu) 18:19:08

藤さま 初めまして

ワタクシは教育委員会にアポをとりました。
その教育委員会が以前に開催したイベントの内容についての質問をしたのですが、思いの外あっさり話が進み、色々教えていただくことになりました。

取っ掛かりとしては、イベントや町史など書物に対する質問はかなり有効と思います。問い合わせ先に「できる」人がいれば、ためになる話がたくさん聞けてあっと言う間に時間が過ぎてしまいますが、そうでない場合はどこに話すれば良いのかわからず立往生することもしばしばです。

他には図書館で司書さんに話を伺うのも悪くないですが、彼らは歴史より地理に強いような印象があります。

京都の資料館「京都学・歴彩館」みたいにアーカイブを扱っている専門の場所がある場合は何はともあれまずいってみるのが良いです。ワタクシの例ではかなり深いレベルで質問に答えてもらえた(資料の読み方を教えていただいた)という僥倖がありました。

Re: 観光協会等への問い合わせについて 管理人

2017/05/18 (Thu) 22:04:40

藤さんへ

お久しぶりです。

私の場合は教育委員会にメールをしてその地域の郷土史家を紹介して頂いたことがあります。

郷土史家がいない場合はその付近の公民館を紹介して頂く(館長になるかと思いますが)

教育委員会を最初の足がかりに少しでも詳しい方を紹介して頂き、最終的に一番詳しい方に行き着くという感じでしょうか?

郷土史家もそうですが、神社の宮司を紹介して頂き、私と同じ姓の家の家系図を見せて貰いました。
(その方は私とは苗字が違いますが江戸時代初期に養子にいったからです)

教育委員会

郷土史家

宮司(家系図発見)

別の教育委員会を紹介

別の資料(系図に記載しているものの裏づけが取れた)

という件もありました。

この時の注意事項は先祖を調べるというよりも「この地域に先祖が住んでいたので興味がありその土地のの歴史を調べる」というスタンスで教育委員会に問い合わせた方がいいと思います。





Re: 観光協会等への問い合わせについて 管理人

2017/05/18 (Thu) 22:44:24

戸籍の件ですが、念のためにコピーを持参しておいた方が先方には信頼されると思います。

Re: 観光協会等への問い合わせについて - 藤

2017/05/19 (Fri) 23:22:01

管理人様、勘次郎様

参考になる実体験をありがとうございます。
教育委員会にまずはメールをしてみようと思います。
郷土史家の方はだいぶ前に手紙を出したことがありますが、その時点で亡くなっておられました(その時は、ご家族の方から『何もわからない』と返信をいただきました)
あとは地区史を出している公民館ですかね。
戸籍はコピーして持って行くことにします。


>先祖を調べるというよりも「この地域に先祖が住んでいたので興味がありその土地の歴史を調べる」というスタンスで教育委員会に問い合わせた方がいいと思います。


実はA家は某町の地名からの希少姓でして、名前を出さずに調べるというのは逆に困難になりそうです。
最初から「A家及びA地区に関して、ご先祖にまつわる歴史を調べる」のスタンスではダメでしょうか?

それにしても県史・市史・町史はよく見かけますが、町の中でもさらに細かい地区史(と呼ぶのでしょうか)を出しているところは貴重かもしれません。
(私が知らないだけかもしれませんが)

Re: 観光協会等への問い合わせについて 管理人

2017/05/20 (Sat) 10:26:16

>最初から「A家及びA地区に関して、ご先祖にまつわる歴史を調べる」のスタンスではダメでしょうか?

それで大丈夫です。

細かい地域になってきますと、郷土史家というよりはその地域に行って古老や有力者のお話を聞いた方が有益な情報を得られるかもしれません。

後はお寺とか神社とかの方に聞くのも方法の1つです。(その地域になくても隣の地域とかでもかまいません)

旧土地台帳について - 先祖を尋ねて三千里

2017/04/29 (Sat) 18:25:39

旧土地台帳を見ていると、事由に売買だとか買得だとか家督相続だとか所有権保存とありますが、それぞれどのような意味でしょう?

特に買得なのですが、
私の祖父が家をとっていたのですが祖父の兄が出戻りしてきて、祖父が祖父の兄に家を譲ったとは聞いています。
旧土地台帳では祖父の兄が所有者になっており、事由には買得とあります。祖父が祖父の兄に売ったということでしょうか?

Re: 旧土地台帳について - 名もなき民

2017/04/29 (Sat) 19:10:53

所有主名義変更の原因を指しています。

「売買」…売買契約によるもの。

「買得」…買い取ること。

「家督相続」…家督相続により新戸主名義になったこと。つまりその土地は家の財産であり、家族の特有財産ではないということになります。

「所有権保存」…まだ所有権の登記のなされていない土地に、初めて所有権の登記がなされたこと。

昭和35年の台帳・登記簿一元化までは、二本立て制になっており、台帳は土地の物理的現況を登録した課税台帳であり、登記簿は権利関係を登録・公示するものでした。

登記所において登記がなされると、税務署に通知され、台帳の名義人変更がなされます。

土地台帳の場合、事由が単に「相続」とあってそれが家督相続なのか遺産相続なのか判らなかったり、「所有権移転」ともなると、そもそも何を原因とする所有権移転なのかも判らなかったりします。

それは土地台帳の目的が課税台帳だからであり、権利関係についての詳細は登記簿の方を見なければ判りません。

祖父様・祖父兄様の件もその辺りのことは登記簿(閉鎖登記簿謄本)を見なければならないことになるのですが、分筆や合筆などの関係で、昔の閉鎖登記簿謄本が残っているとは限りません。

Re: 旧土地台帳について - 勘次郎

2017/04/30 (Sun) 01:04:46

すいません横から一点質問です

ある町の土地台帳をざっと横並びで見たのですが、同じ人物から同じ人物への家督相続について、それぞれの土地ごとに違う日付で相続が行われている例があったのですが、どう理解すればよいのでしょうか?

Re: 旧土地台帳について - 名もなき民

2017/05/17 (Wed) 20:10:12

ゴールデンウィーク中投稿を休んでいた為、ご質問見落しておりました。

>同じ人物から同じ人物への家督相続について

「被相続人と相続人の氏名が同一」という意味ではなく、「同一の家督相続に係る複数の土地の相続」という意味でよろしいでしょうか?

家督相続届は役場に1通提出するだけですが、土地の名義変更の登記は、土地ごとに登記料を納めて登記所に申請(届出ではない)しますので、日付に幅があってもおかしくはないと思います。

申請には親族の連署や登記官の審査など、手間もかかります。

因みに家督相続の日は届出日ではなく、相続開始日(相続原因発生日)です。

戸主不在期間を認めると、家の継続性の原則を崩すことになるからです。

登記はこれとは趣旨を異にし、申請を待って初めてなされます。

登記の目的は対抗要件といって、第三者に対して権利を主張する為になされるものです。

従って登記簿上の名義人が必ずしも真の所有者を反映していない場合があります。

現代でも地方でままあることですが、昔の戸主名義のままになった山林などが発見されると、旧法時代に開始した相続であれば家督相続に従い、新法施行後は現在の遺産相続に従い、順を追って現在の正当な相続人のもとに帰属させるという、面倒な手続を要することになります。

実務の現場では、このような場面で古い戸籍の出番があったりします。

少し話がそれましたが…

Re: 旧土地台帳について - 勘次郎

2017/05/18 (Thu) 18:31:24

名もなき民さま いつもありがとうございます。

対抗要件ですか。はるか昔に公務員試験の勉強で聞いて以来です。(試験受けただけですが)
名もなき民さまの回答はワタシにとってはまさに知りたいことそのものでして、名義が故人のままだったりするケースがあまりに多くてびっくりしたくらいであります。

収集した戸籍について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/18 (Thu) 11:31:47

収集した戸籍がたくさんあるのですが、皆さんはどのように管理していますか?ファイルに入れていますか?教えてください。

Re: 収集した戸籍について 翁爺

2017/05/18 (Thu) 14:10:04

未だ取り終わって無いので行ってませんが。
ルーズリーフのクリアファイルを使おうかと思って居ます。
パソコンも無く字も下手な為(笑)系図も横書きの原稿用紙を使おうかと?

Re: Re: 収集した戸籍について - 太郎

2017/05/18 (Thu) 15:24:46

戸籍、除籍はクリアファイルに保管しています。コピーもしようかと思ってますが、全系統遡れるだけ遡って55通あるのでそこ迄はまだしていません。先祖を尋ねて三千里様は何通位、取得できましたか?

Re: 収集した戸籍について - 先祖を尋ねて三千里

2017/05/18 (Thu) 17:09:03

爺翁様
やっぱりクリアファイルですかね。この機会にパソコンを覚えるというのもありだと思いますよ。

太郎様
私もコピーを考えていますが、全てコピーすると黒インク一つ吹っ飛びそうなのでまだしていません。全系統遡って35通ぐらいだったと思います。

Re: 収集した戸籍について - 勘次郎

2017/05/18 (Thu) 18:03:11

こんにちは
ワタクシは主要なやつのみカラーコピーをとりました、が、それだったらバックアップの意味で戸籍二通取っておいてもよかったかなと今更思ってます。コピーめんどくさいし。
保存は茶封筒、持ち運びは茶封筒かクリアファイルです。

貰受く? - 先祖を尋ねて三千里 URL

2017/05/16 (Tue) 21:40:19

今まで気づかなかったのですが、明治19年式戸籍に於いて祖父の叔父の妻の事項欄が
「(人名)長女貰受く」となっています。これは結婚による入籍と同義なのでしょうか?今迄「入籍す」という文面しか見てなかったので何か意図があってこのような表記がなされたのかと思ってしまいます。
しかし、明治31年式戸籍では「入籍す」となっています。

Re: 貰受く? - 名もなき民

2017/05/17 (Wed) 00:25:56

以前何処かで回答した記憶がありますが、叔父妻様はもともと縁女入籍してこられた可能性があります。

入籍年月日の記載があり、入籍時の年齢が幼少であればたぶんそういうことだろうと思います。

明治19年式戸籍では、届出受領→登記目録記入→戸籍記入の手順を踏みます(戸籍取扱手続第8・9・10条)。

明治19年式戸籍の記載例は、『戸籍登記書式等』の「戸籍登記書式第1」に代表的な事例が載っているだけで、これを斟酌しろと言っているのですが、他方「登記目録書式第5」「同第14」では、「縁女入籍」「養子女入籍」「相続人入籍」の場合に、「貰受ク」という語を用いています。

入籍者が年少なので「貰受ク」という表現を使うのでしょう。

叔父妻様の場合養女入籍の可能性もあります(言うなれば嫁養子)。

明治31年式戸籍で「入籍ス」に記載が変わっているのは、縁女は民法前の慣習であったので、民法に適合させる目的とか、その他の場合をも含めると、記載上の足並みを揃える目的だと思います(『戸籍法取扱手続』では「入籍」で統一されています)。

Re: 貰受く? - 先祖を尋ねて三千里 URL

2017/05/17 (Wed) 12:35:41

名もなき民様、ありがとうございます。
この家の案件は確か以前別の名前で投稿していたと思います。
時系列を整理しますと、

1893年:曾祖母死亡(曽祖父は不明)
1894年4月:祖父の叔父入籍(高祖父の養子となる)
8月:叔父妻入籍(年齢29才、貰受く)

29才ですから養女でもないような気がしますが、どのように考えたらいいものでしょうか。

Re: 貰受く? - 名もなき民

2017/05/17 (Wed) 20:31:31

結論から申しますと、婚姻入籍と解釈するしかありません。

本戸籍編成後に縁女入籍したのであれば、「○○(叔父名)縁女」と肩書が記されていなければなりませんし、29歳で入籍という時点で縁女は即否定されます。

養女(嫁養子)であるか否かですが、明治31年式戸籍では養父母欄を増設するということをしませんし、身分事項欄に高祖父様との縁組事項があればそれで明らかになりますが、そもそも原戸籍では単に「貰受ク」ですから、判らないということになります。

ですが、嫁と養子縁組する事例はそうありませんので、これも除外してよいと思います。

先の返信でも少し触れましたが、明治19年式戸籍は事項ごとに記載例が詳細に定められていませんので、変則的な文言もしばしば見られます。

制度的背景を知らなければ迷うのも致し方ないことですが、深読みするより常識的読解で案外的を得ているものです。

Re: 貰受く? - 先祖を尋ねて三千里 URL

2017/05/17 (Wed) 21:12:28

名もなき民様
深読みする必要はありませんでしたか。というか婚姻以外は考えにくいですよね。ありがとうございました。

早世した祖父の先祖が - 勘次郎

2017/05/15 (Mon) 02:11:46

この古文書に関係がありそうだところまで突き止めました。

1、古文書の主人公について、先祖の名前と伝え聞くところの職業まで一致したのですが、苗字がありふれていることもあり(名前はそこそこ珍しい感じですが)、できればあと一歩確証が欲しいところです。
皆様方、同様のケースについて、どの程度情報が一致したところで先祖認定されているでしょうか?

2、古文書について、あまりにも流暢な書体のため所々読み切れません。それこそ一文字でもいいので分かる方に是非教えていただきたいです。

ちなみにワタシが読めたのは、「右之者旧澱藩士族ニテ東京定□報告□□…□□四ヶ年□□□久世郡第三区廣野村□□□一昨年家禄奉還商法□始メ□□□損失多□ニテ□□□□不融通可成 昨八年…」くらいです。

以上、なにとぞよろしくお願いいたします。

Re: 早世した祖父の先祖が - 五左衛門

2017/05/15 (Mon) 10:50:13

次の様に読めます。

右ノ者旧澱藩士族ニテ東京ヘ足徒
罷出候処去ル四ケ年前帰郷久世郡
第壱區廣野村ニ給跡一昨年家禄
奉還商法相始メ致処損失多面
ニテ追々手元不融通相成昨八年

だろうと思料します。
ご参考迄

Re: 早世した祖父の先祖が - 勘次郎

2017/05/17 (Wed) 01:59:28

五左衛門さま 大変ありがとうございます。
内容がかなり明確になりました。(現時点での自分の弱点も分かりました…)

教えていただいた流れで続きも読んでみましたが、これまた一部わからない部分が残っています。こちらもご教示いただけましたら幸いです。


三月此ゟ上京区廾五区布袋屋町ニ借宅家族三人細々相□□□處追々別居相成
当時下京十五区四条縄手南ニテ馬車別当相□給□□ニテ気質温和□□□ニテ文筆下之通り此年□□□□依テ此□言上候也


ちなみに、足徒とは何のことでしょうか?
東京には旧藩の関連で行ったのかもしれないと推測したのですが、この文章ではそこまではわからなさそうですね。

それでは失礼します。

Re: 早世した祖父の先祖が - 五左衛門

2017/05/17 (Wed) 07:22:26

勘次郎様 お早うございます。

「足徒」は、「徒足」の書き間違いだと思います。「無駄足、行った甲斐がない」等を意味します。(難読語辞典にあります)
古文書には「風与出、不図出」と書いて、「ふと出」と読み「ぷらっと家出する」と意味する言葉が有ります。
このお方故意に「足徒」と書き「そっと」出たと読ませたかったのかも知れませんね。
翻刻は、次メール迄お時間を下さい。

Re: 早世した祖父の先祖が - 五左衛門

2017/05/17 (Wed) 10:57:00

次の様に読めますが、内容的には全般が不明ですので細部の意味は分かりせん。

三月頃ゟ上京第廿五区布袋屋
町ニ借宅家族三人細々相希給ク(稀に稼ぐの意味?)
処追々難渋相成当時下京十五区
四条縄手南ニテ馬車別当相鎹?(虫食いにて解読不可)
給候終?ニテ気質温和ノ者ニテ文
筆一ト通リ出来候銘?御聞及依テ
此段言上仕候也

急遽翻刻しましたので正確さを欠いているかも知れません。
悪しからず、ご了承の上ご参考にして下さい。

Re: 早世した祖父の先祖が - 勘次郎

2017/05/17 (Wed) 12:51:54

大変ありがとうございます。必要な情報を読み取ることができました。

この文書は、ワタクシの先祖(と思われる人)が京都の下級官吏に応募した時の身辺調査の記録になります。
淀藩の最下級藩士だった先祖は、明治維新をきっかけに幕末の勢いを失った京都から(もしくは旧藩時代より東京に定詰していた)東京へ出たもののほどなくして郷里に戻った。その後家禄奉還により小金を手に商業を始めたものの、武士の商法の例にもれず、すぐに食い詰めて、職を転々とした後、下級官吏の応募に至ったもののようです。
当時三十歳くらい。家族三人というのが親なのか嫁子供なのか、恐らく後者と思われますが詳細はまだ不明です。

しかし難渋とは読めませんでした…崩し字は難しいです…


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