旧土地台帳について - みなきち
2022/04/29 (Fri) 09:19:26
はじめまして。
家系図を作ろうとご先祖さまについて調べています。
曽祖父の戸籍に「~県~郡~村 戸主 高祖父の名前 4男にて分家す」と記載があります。
高祖父の戸籍は既に破棄されてしまいました。
旧土地台帳を取得するために法務局に問い合わせたところ番地がないので探せないと言われました。
番地を調べるなにか良い手はないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
Re: 旧土地台帳について
- 安兵衞
2022/04/29 (Fri) 13:16:45
村名が現在も大字として残っていれば、電話帳や住宅地図で該当エリアから該当氏を全て拾い出し、全て申請してみます。
該当の家が現在も同じ場所に存在するとは限りませんので、使用する電話帳等は古いものほどよいことになります。
Re: 旧土地台帳について
- みなきち
2022/04/29 (Fri) 14:10:44
安兵衞さま
ご回答ありがとうございます。
合併などでA村→B村→C市に変わった場合でも
現在の同姓がいるC市??番地で申請すればA村時代のことも記載されている
旧土地台帳が頂けるのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
Re: 旧土地台帳について
- 安兵衞
2022/04/29 (Fri) 15:51:08
合併により市町村名が変わっても、大字や地番号さえ変わっていなければ大丈夫です。
また、どうせ申請するならば一つの地番号につき全枝番を申請することをお勧めします。
Re: 旧土地台帳について
- みなきち
2022/04/29 (Fri) 17:14:04
安兵衞さま
私の知識が乏しいので。。地名を書きます。
知りたい高祖父の手掛かり新潟県中蒲原郡津島村。
現在では新潟県新潟市秋葉区です。
いろいろ調べて秋葉区の中でも古津と言う所のような気がしています。
秋葉区古津の同姓の住所を調べて申請すればいいのでしょうか?
全枝番というのがよく分かりません。
よろしくお願いいたします。
Re: 旧土地台帳について
- 安兵衞
2022/04/29 (Fri) 18:37:36
現在は住居表示が施行されている地域ということになりますね。津島という大字も消滅しているということでしょうか。
角川日本地名大辞典やWikipedia等を調べてみて津島が現在の古津に相当するという前提で、私が用いた方法を説明します。
住居表示とは市街地での住所表示の一方法で、地番号を用いた住所表示とは別物です。「古津●丁目●番●号」のように表示されていることと思います。この表示に地番号は含まれていません。
まず電話帳等で古津地区から該当氏の家の住居表示を全て拾い出します。そして区役所の区民課や税務関係部署に対し、各住居表示に対応する地番号を照会依頼します。
但し都市部の場合ですと、地番号が変わってしまっていて先祖の地番号を特定することができない可能性もあります。
全枝番とは、一筆の土地を分筆した場合「●番の1」「●番の2」…のように追番号が付される訳ですが、それら全てを請求するという意味です。「●番の全枝番が欲しい」のように付記すればいいでしょう。また、単に「●番」で申請しても、分筆されていれば、黙っていても全枝番が送付されてくると思います。
私の先祖の場合殆どが田舎なので、この手の調査はあまり経験豊富とは言えません。他の方のコメントも期待してみましょう。
Re: 旧土地台帳について
- みなきち
2022/04/30 (Sat) 09:38:02
安兵衞さま
ありがとうございます。なんとなくイメージがつきました。
秋葉区古津の同姓の住所はいくつか調べているのですが、
すべて秋葉区古津xxxxやxxx-xだったりします。
丁目はないように思えるのですが、まずは地番号照会から行おうと思います。
Re: 旧土地台帳について
- 安兵衞
2022/04/30 (Sat) 12:34:40
政令指定都市なのでてっきり住居表示施行区域かと思い込んでいましたが、おっしゃるような表示だとするとそれは地番号を用いた住所表示みたいですね。区役所で住居表示施行区域なのか確認してからでもいいですし、「古津●●番」で申請してみてもいいかもしれません。
戸籍にある地名の下の干支の意味
- 博之丞
2022/04/29 (Fri) 15:37:07
こんにちは。
旧新潟県村松町(現 新潟県五泉市)に関係する戸籍をいくつか見ているのですが、地名の下に「戌」とか「丙戌」のような干支が書かれているのを見つけました。(ファイルをご覧ください)
この干支の意味がよく分からないのですが、方向に関する何らかの情報が含まれているのか、単なる分類のために干支が使われたのか、そのどちらかではないかと想像しています。もしご存じの方があれば、ご教示いただけると幸いです。
また、このように干支が書かれているのが村松町だけのことなのか、全国的に見れることなのか、ということも知りたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
Re: 戸籍にある地名の下の干支の意味
- 安兵衞
2022/04/29 (Fri) 16:06:57
支号(しごう)と言って、枝番の一種と思われます。私の先祖の本籍(住所)表示では甲乙などが見られます。因みに新潟県ではありません。
右の画像は屋敷番表示に見えますね。同じ趣旨のものかもしれませんが、そちらについては何とも言えません。
Re: 戸籍にある地名の下の干支の意味
- 博之丞
2022/04/29 (Fri) 17:06:41
安兵衛さま、
早速どうもありがとうございます。
左の方は「乙 二八壱番地 戌」、右の方は
「戸ノ百七拾九番」丙戌
と書いてあるように読めます。
安兵衛さまの言われる「甲、乙」は左の方で最初の文字に相当するものではないかと思います。
Re: 戸籍にある地名の下の干支の意味
- 安兵衞
2022/04/29 (Fri) 18:58:30
画像は本籍欄外の記載ですかね。屋敷番表示に対応する地番号表示を記載したものか何か…。
左側の番地の上の「乙」は小字かもしれません。私の先祖の地は現在でも県内全域でこのような小字表記が見られます。「甲乙丙」「子丑寅」「イロハ」或いは数字など様々なものがあります。他県ではあまり例がなく、県外の人はよく不思議に思うそうです。
元々は固有の小字名だったのですが、地租改正の時に当時の県令が区画整理して人為的に付けたらしいです。しかも小字ごとに1から地番号を付した為に、現在でも住所表示に欠かせなくなっています。
Re: 戸籍にある地名の下の干支の意味
- 博之丞
2022/04/29 (Fri) 20:15:40
安兵衛さま、
コメントどうもありがとうございます。
はい、画像は本籍欄外の記載となります。
村松では、明治になって、武士町を乙、それ以外を甲と区分したようです。左側の「乙」は武士町を表すものと思われます。
戸籍記載の届け出について - いんでぃ
2022/04/15 (Fri) 15:53:39
私の曽祖父が大正2年に転籍したと書いてありますが、それ以前に結婚や養子縁組などをした届け出を転籍先の役場に「発送」と書かれていました。
転籍届け日の前から転籍先に住んでいたという解釈で良いでしょうか?
また、発送での届け出というのは、転籍前の地から転籍先の役場に届け出たということでしょうか?
Re: 戸籍記載の届け出について - 安兵衞
2022/04/15 (Fri) 20:11:18
養子縁組届は養親の本籍地または所在地の市町村長に対して(明治31年戸籍法第90条・大正3年戸籍法第92条)、婚姻届は夫(入夫婚姻および壻養子縁組は妻)の本籍地または所在地の市町村長に対して(明治31年戸籍法第104条・大正3年戸籍法第101条)、なすこととされています。まずはこの規定を拠り所に、戸籍の記載をもう一度読んでみて下さい。
「発送」というのは恐らく所在地の市町村長が届出を受理し、本籍地の市町村長に届書を発送したことを指しているのだと思います(明治31年戸籍法第35条・大正3年戸籍法第32条)。
旧土地台帳に書かれている相続とは? - いんでぃ
2020/10/09 (Fri) 09:16:43
私の高祖父の兄(A)が本家なので、旧土地台帳でAが記載された土地を探しました。
一番最初に「明治3●年 家督相続によりAが所有者となる。」みたいに書かれていて(Aの父親の名前は記載なし(戸籍には父親の名前は記載あり))、
家督相続によりB、相続によりCと所有権が相続されたらしく、
その土地の現在の所有者を法務局の登記簿で調べたところ、Cの息子であるDが家督相続をしたと書かれており、Dに手紙を出すと、他界したDの息子であるEから返信が来ました!
しかし、手紙にはAを知らないと書かれていました。
ちなみに、その土地の隣の家にはAの分家(Aの姪が嫁に行った家)の子孫Fが現在住んでいますが、EはFと自分との関係を知らないと書かれています。
「相続」と書かれているので、「EはAの子孫」「EとFは親戚」だと思っていたのですが、違うのでしょうか?
なお、A~Fは全て同じ苗字です。
追記 - いんでぃ
2020/10/09 (Fri) 09:24:50
Fの仏壇に記載された戒名の人と、我が家の一番古い戒名の人と同一人物です。
Re: 旧土地台帳に書かれている相続とは? - 安兵衞
2020/10/11 (Sun) 18:43:35
EがAのことやFとの関係を知らないというのは単に家系に興味がないだけなのかもしれませんし、むしろそれが一般的な感覚です。
土地台帳や登記簿は身分関係 (家族・親族関係や相続関係のこと) を登録・公証するものではありませんので、例えばAからBに家督相続されているからといって、ABが親子関係だと断定することはできません。
相続には順位というものがあり、先順位の相続人がいないときに後順位の相続人に相続権が回ってきます。最終的には他人が家督相続人になることもあります (旧民法第985条)。他人であっても家督相続した家の氏を称し (同第746条)、祭祀を継承します (同第987条)。
安兵衞 様 - いんでぃ
2020/10/12 (Mon) 13:20:06
ありがとうございます。
他人であっても家督相続人になるというのは知らなかったです!
確かに、A所有の土地が数十件もあり(Aは土地をたくさん持っていたらしいです)、旧土地台帳には戸籍から作った家系図には載って来ない色々な登場人物が出てきました。
また、この地では120軒の内、同姓が80軒もあります。それぞれを辿って行けば、遠い昔(平安初期とか)の御先祖様が同じ人に辿り着くのでは?と思っていましたが、関係ない家もあるのかもしれませんね・・・
Re: 旧土地台帳に書かれている相続とは? - ★
2021/05/23 (Sun) 16:54:12
A、B、Cの三者の血縁関係について教えてください
C-D-E の関係は理解しました
単純に昔のことをご存じない場合も
多々あると思います
みなさん、そんなに暇じゃないってことですかね
★さん - いんでぃ
2022/04/15 (Fri) 15:41:48
ABCの関係は不明です。
明治19年式戸籍ではAは既に亡くなっており、Aの長男(AA)が戸主となっています。私の高祖父がAの弟なので、叔父として同じ戸籍に載っていました。
その戸籍にはBとCの記載はありませんでしたが、AAが相続した土地の旧土地台帳に、“家督相続”でBが取得したことと、それをまたCが相続したことが書かれていましたので、Bとおそらくその息子のCがAと関係のある家なのではないかと思ったのです。
もしそうだとすれば、私が知りたいA(私の家の総本家)より上のご先祖様の話が伺えると思いました。
謎の人物 - すみれ
2022/04/01 (Fri) 10:18:50
博之丞様
こんにちは。三年前より先祖について調べている者です。
息定さんが校長を解職させられたという点が、少し気になります。何か理由があったのか、それとも単に定年退職であったのか。
関一族の戒名のリストに息定さんのお名前がなく、位牌やお墓も残っていないとのこと。もしかすると、養家との養子縁組を解消し、ご実家の戸籍に復籍されたのではないでしょうか。私の先祖にもそんなケースがいくつかありました。元の姓で村松の小学校の記録をお調べになってみてはいかがでしょう。
Re: 謎の人物 - 博之丞
2022/04/02 (Sat) 14:31:56
すみれさま、
こんにちは。ご教示どうもありがとうございました。
校長解職の件は、新津市史に「教員の更迭」として載っているというのに基づいています。解職の理由は特に記されておらず、ここも謎の部分です。息定はその後別の小学校の教師になったと思われますので、定年ということでもなさそうです。
養子縁組を解消して実家に戻ったというケースもいくつかご存じなのですね。息定も元の姓が分かればいいのですが、養子縁組解消後も関を名乗り続けているようなので、関一族の別系統から養子になったのかもしれないとも思っています。
お礼と質問: 謎の人物 - 博子
2022/04/02 (Sat) 22:22:26
すみれ様
「博之丞」さんと一緒にファミリーヒストリーを調べている者です。息定につていの質問にお答えいただき、ありがとうございました。
残念ながら、関息定が養子になる前の姓は分かっていません。親戚から養子に来たのかもしれず、元の姓も関だったのかもしれません。
すみれ様のご先祖様で、養家との養子縁組を解消し、ご実家の戸籍に復籍されたケースをいくつかご存じなのですね。
そういったケースについてお尋ねしたいのですが、その方々は、復籍後、姓だけでなく、下のお名前も変わられたのでしょうか。
なぜそれをお聞きするかというと、男子の名前で使われる通字が、復籍後どうなるか知りたいからです。代々の戸主の名前には、祖先から伝えてつける文字(通字)がありました。例えば毛利家なら、元就→隆元→輝元と継承され、「元」が通字です。
養家から離籍し、実家に復籍した男性は、養家で使っていた名前の通字は使わなくなるものなのかどうか、ご先祖様の例があれば、どうぞご教示ください。
Re: 謎の人物 - すみれ
2022/04/03 (Sun) 14:31:44
博子様
入手できた全系統の先祖の戸籍謄本をひとつひとつ調べてみました。
養子縁組を解消して実家に復籍した先祖のうち、一人だけ下の名前を改名した先祖がいます。安政2年生まれの男性で、復籍した明治26年の10年後に全く違う名前に改名しています。理由は不明です。養子縁組解消と関係があるのかどうかも、わかりません。
ちなみに、養家と男性の実家の姓は同じですが、親戚関係にあったのかどうかもわかりません。同じ村ではあるのですが、その姓がとても多いのだそうです。その村の庄屋の姓でもあります。
また、この先祖は戸籍上は改名するまで出生時から同じ名前ですが、養家で通名を使用していたかどうかはわかりません。
また、ある先祖は22歳の時に改名し、その4年後に姓の異なる家の養子となりましたが、その3年後に離縁し復籍しています。このケースも改名と養子縁組に何か関係があるのかないのか不明です。
わからないことだらけで、お役に立てず、申し訳ありません。何か手がかりがみつかるといいですね。
Re: 謎の人物 - すみれ
2022/04/04 (Mon) 10:42:09
博之丞様 博子様
息定さんのお名前で諱(いみな)として代々使われている一字ではない方の字、が下の名前に使われている方を当時の小学校の教職員名簿で探してみられてはいかがでしょう。関姓に限定せずに。
該当する方が見つかれば息定さんの可能性があるやもしれませんね。関姓でない場合、息定さんの生家の姓である可能性も。。。
お近くであれば、教育委員会などに足を運ばれてみるのもよいかもしれませんね。無駄足になることも覚悟されて。
話はかわりますが、私の先祖のところへ15歳で養子に来て、17歳で死後相続し、未婚のまま30歳で養子を迎え34歳で孫が生まれた人物がいます。その後は36歳で隠居、その半年後に関家(偶然ですね。笑)と養子縁組し婿養子となり、子どもも生まれたというなかなかな人生を歩んでいます。養家で自身も養子を取り、その後再び婿養子に行くことなど、想像もしなかったのではないでしょうか。
私は、この人物にあっぱれ!と拍手をおくりたい気持ちです。タイムマシンがあれば、ぜひその人に会いに行き話を聞いてみたいところです。
このように、人にはさまざまな人生があることを先祖調べ(主に戸籍謄本によるもの)で実感しています。壬申戸籍が入手できれば、多くの謎がたちまち解決するのにと思いますが、人権等を守るためには、仕方がないのでしょうね。。。
Re: 謎の人物 - 博子
2022/04/04 (Mon) 19:54:26
すみれ様
入手された全系統の先祖の戸籍謄本をひとつひとつ調べてくださったとのこと、大変ありがとうございました。貴重なケースを、具体的に、そして年号もあわせて教えてくださったので、とても参考になりました。
管理人様、安兵衛様、すみれ様からご回答を頂き、やはり関息定は養子縁組を解消して離籍したのだという思いを強くいたしました。
明治3年や明治5年に、名前に関する布告が明治政府から出されました。すみれ様のご先祖様の例は、その法令が出されたために改名したなどということではなく、安政2年生まれの男性が、復籍された明治26年の10年後に、全く違うお名前に改名された、ということですね。
そのような例をすみれ様からご紹介いただき、はっとしました。関息定についても、離籍してから10年後に姓も名前も変わった可能性が、ゼロではないことが示されたように感じました。
Re: 謎の人物 - 博子
2022/04/04 (Mon) 19:56:55
すみれ様
先の投稿文の続きです。
嫡男として迎えられた関息定ですが、養父が明治3年に亡くなったあと、明治7年、関家の実子が10才の時に、家督は息定から実子に変わります。博之丞さんが先に掲示板に書いたように、その後、明治15年まで「関息定」の名前で仕事をしていることが資料から確認できています。
息定が家督を譲ってから、少なくとも8年間は関息定の姓名は変わっていないことから、息定は関の親戚(本家や分家の二・三男)から養子に来た可能性が高いとこれまで思っていました。
すみれ様のご先祖様の例をお聞きし、関息定が、実家に復籍してから9年後、あるいは10年後になってから、何らかの理由で姓も変わり、それまで使っていた通字の「息」(やす)」の字も使わなくなったという可能性もあるのだと思えました。
すみれ様のご指摘の通り、「〇定」あるいは「定〇」という名前になった可能性もありますね。すみれ様のおかげで、ご先祖探しの可能性の枝が増えました。
関息定が姓も名も改名していたとすれば、明治15年以降の関息定の足取りについて、これまで博之丞さんや私のいとこたちが、お寺や図書館や地元の小学校まで行って探したり聞いたりしても、情報が得らなかったことに納得が行きます。
すみれ様、親身になって考えていただき、ありがとうございました。
とても嬉しく、感謝しております。
Re: 謎の人物 - 博之丞
2022/04/04 (Mon) 23:00:15
すみれさま、
いろいろとどうもありがとうございます。
そのような方向性も考えられるのか、と目から鱗でした。
すみれさまのご先祖様はまさに波乱万丈ですね。このような個々のストーリーが見えてくるのが、先祖調査の醍醐味だと思いました。
Re: 謎の人物 - 博子
2022/04/06 (Wed) 14:19:01
すみれ様
息定の名前が改名されたのか否か、息定がなぜ解職になったのか、いろいろな方のご意見、ご指摘、また自分が得た情報を基に想像力をフル回転させて、推測するほかありませんね。憶測であっても、それはリサーチの方向付けをしてくれるので、そこから新しい発見に結びつくこともあります。
息定について、いろいろ考えて下さってありがとうございます。
無題 - 博子
2022/04/04 (Mon) 23:37:35
すみれ様
34歳で孫が生まれ、36歳で隠居、その半年後に関家と養子縁組をされた等々、なんともすごいライストーリーですね。どんな思いでご自分の置かれた家族環境や運命を受け止め、生きていかれたのか、私もお目にかかってお話をお聞きしたいくらいです。タイムマシン、ほしいですね。
Re: 無題 - すみれ
2022/04/05 (Tue) 10:06:25
博子様 博之丞様
私の先祖の話にお付き合い下さり、ありがとうございます。
お二人はファミリーヒストリーを一緒に調べておられるのですね。素敵です。うらやましいです。すでにいとこさんらと小学校やお寺や図書館などを訪ねておられ、行動的ですね。私も見習わせていただかなくてはと思います。
息定さんのことで、以前から思っていることがあります。実子の方が戸主になり息定さんは離縁されたと仮定しての話になりますが、校長職を更迭されたのは、それまでのお名前の使用は養家の許可・手続きが必要だと思われますが、何らかの理由でそれがされないまま息定さんが校長をされていたとしたら、更迭という処分?もあり得るのではないかと思いました。
その後は、復籍後のお名前で免許を再申請され、一件落着。別の小学校で教員をされていたということに。
勝手な憶測でものを言って申し訳ありません。。。
謎の人物 - 博之丞
2022/03/30 (Wed) 23:00:55
こんにちは。
先祖のことを調べているのですが、先祖に関係する人物に関して謎の事柄が
ありご意見をうかがえたらと思い、投稿しました。
この人は新潟県の村松藩士だった関息定(せき・やすさだ)という人です。
これまで得た情報をまとめますと、以下のようになります。
* 戊辰戦争で、はじめ佐幕方として戦争に参加し活躍した。
* ところが、藩論がその後朝廷派に変わり、戦後は藩から冷遇された。
* 息定は養子として家に入り嫡男の扱いを受けていましたが、明治維新後、
養父に子どもが生まれ、家督はその実子が継ぐことになりました。
嫡男の座を譲るというのが息定自身の判断だったのか、親族会議の結果
だったのか、よく分かっていません。
* その後、明治時代には小学校の教師となったと伝え聞いています。明治
14年に新潟県の旧新津市の小学校の校長だったのは「新津市史」に書い
てありましたが、明治15年に校長を解職させられたあとの足取りはぱっ
たりと途絶えています。村松に戻って小学校の先生をしていたという伝
聞だけが残っています。その小学校に問い合わせもしてみましたが、現
在残っている記録の中には痕跡がありませんでした。
* 旧新津市の小学校の校長になる前の数年間は大阪に出て、大和郡山出身
の飯尾朋央という人と一緒に辞典を何冊か出版しているのが、国立国会
図書館のデジタルアーカイブで確認できました。
* 明治19年式の戸籍には、実子が戸主となっていて、関息定の名前は戸籍
の中で前戸主としてのみ載っているだけです。その後の戸籍にもどこに
も息定の名前は現れません。
* 幕末からの一族の戒名のリストが残っているのですが、息定の名前は
ありませんでした。位牌や墓も残っていません。一族から外されている
ような感じです。
* 明治末~大正にかけても、息定あるいはその関係者とのつきあいの記録
は残っていないようです。
息定の痕跡がきれいさっぱりと消されているような感じになっているのは、
どのような理由が考えられるでしょうか?明治19年式の戸籍が作られる前
に分家して別家をたてた、あるいは、早くに亡くなった、などという可能
性は考えられるでしょうか?
ご教示いただけると幸いです。
2022/04/01 (Fri) 22:32:15
戸籍は古い時代の方ですので、前戸主と記載されているのだと思います。
ひょっとしたらその戸籍の前を確認できませんが、養子として別の家に入ったが子どもが跡を継いだので自分は隠居して別家を建てたとか、実家に戻ったとかがあるかもしれません。
そうなると、戒名も記載されていないことにもうなずけます。
Re: 謎の人物 - 安兵衞
2022/04/02 (Sat) 09:00:56
>息定は養子として家に入り嫡男の扱いを受けていましたが、明治維新後、養父に子どもが生まれ、家督はその実子が継ぐことになりました。
嫡男の座を譲るというのが息定自身の判断だったのか、親族会議の結果だったのか、よく分かっていません。
男子なき戸主が養子をした場合、特に嗣子(嫡男)と定めずとも養子が家督相続人となるのが慣習です。
従って後に実子が生まれたからといって、そのことを理由に養子の嗣子たる地位が失われることはありません。正当な理由のもとに廃嫡の手続を要することになります。
戸籍の前戸主欄に氏名が記載されていることがその証左で、実際息定は嗣子として家督を相続したことになります。
その後の消息については、関家の人間として歿していれば記録が残っている筈のところそれがないということは、博之丞様や他の方々も言われているように、戸籍編製前に隠居・分家したとか、離縁復籍などにより関家から除籍されたということでしょう。
そのような選択をした理由として、例えば関家の血統を優先させたかったなどが考えられると思います。
戸主の事項欄に相続原因が記載されていれば、そのへんの手掛りが得られる可能性があるのですが、明治19年式戸籍の場合ですと恐らく「明治●年●月●日相続」としか記載されていない場合が多いと思います。
Re: 謎の人物 - 博之丞
2022/04/02 (Sat) 14:23:32
管理人様、安兵衛様、
ご教示いただきどうもありがとうございました。
実家に戻った可能性は私も考えました。
戸籍によると、実子に相続されたのが明治7年11月で、その時に実子は10歳でした。前戸主は「兄 関息定」と書かれています。関息定の著作が明治8年7月に「関息定」の名前で出ていたり、明治14年の小学校の校長の名前が「関息定」の名前が残っていますので、
家督を実子に譲った後も「関」の名前を使っていたようです。もし実家に帰ったのだとしたら、関一族の別系統から養子に入っていたということになりますが、資料が残っておらず決め手に欠けるというのが現状です。
2021/12/31 (Fri) 06:47:30
サイト更新しました。
今年最後の更新です。
【新発見】年末年始の先祖探し【深掘り】
https://gosenzo.net/se/2021/12/31/%e3%80%90%e6%96%b0%e7%99%ba%e8%a6%8b%e3%80%91%e5%b9%b4%e6%9c%ab%e5%b9%b4%e5%a7%8b%e3%81%ae%e5%85%88%e7%a5%96%e6%8e%a2%e3%81%97%e3%80%90%e6%b7%b1%e6%8e%98%e3%82%8a%e3%80%91/
年末年始に調査が進むことも多いです。
特に実家や田舎、親戚の家に行くことがあれば色んなことを聞いてみましょう!!
新しい情報を得られるかもしれません!!